授業参観

昼休みに授業参観へ。

知ってる子がいる。
子どもが反応してくれるとうれしい。

自分の子ども以外の子で反応してくれる子が増えた。
バレーボールクラブの子が「あっ」という顔をしてくれる。

ぼくはクラブの子どもたちにとってどんな存在なんだろうね。

チャイムが鳴って、大急ぎで教室に戻る子どもたち。
うちの小学校は真面目な子が多いね。

さて、5年生のkasuの授業は国語。
詩の読解。

「ゆうひのてがみ」という詩。
ぼくが子どもの頃には教材になっていなかったと思う。


ゆうひのてがみ  野呂 さかん

ゆうびんやさんが
ゆうひを せおって
さかみちを のぼってくる
まるで きりがみのように
ゆうひを すこしずつ ちぎって
「ゆうびん」
ポストに ほうりこんでいく

ゆうびんやさんが かえったあと
いえいえのまどに
ぽっと ひがともる 


詩の中の「ゆうびんやさん」は実在するんだろうか。
ぼくとしては、「ゆうびんやさん」はあくまでもメタファーで、作者の視界には実在の郵便配達人がいるわけではないと解釈したい。
だって、郵便屋さんは、通常夕日が沈む頃に配達していないもん。

まあ郵便屋さんが夕方に配達しているかどうかは別にして、時代背景がずいぶん違うので、詩の持つ意味もそれにつれて変化していくんだなあと思った。

「てがみ」の持つ意味が変わった。

夕日が切り紙のように配られる「手紙」だった時代をぼくだってよく知らない。
でも、ぼくが子どもだったの頃の「手紙」はそれだけあたたかみを持ったものだっただろう。

手紙が家族に火を灯した時代に読まれた詩なんだと思う。

顔のない郵便屋さんが夕暮れ時に各家庭に配る手紙は、実在する紙に書かれた手紙じゃなく、一日が終わって、お日様のおかげで今日一日が無事過ごせたことに対する感謝の気持ち。
お日様の命を分け与えてもらっているということ。
その感謝の気持ちが家族だんらんのひとときに各家庭に火が灯ると表現していると解釈するのがぼくの好みだな。
現代には失われつつあるということもこの詩を取り上げる理由になっていて。

実際に郵便配達人が夕日を背に手紙を配達している光景を描いた詩だったとしても。

授業は途中で抜けたけど、教室をあとにしてからも、そんなことを考えた。
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by omori-sh | 2009-09-11 23:16 | episode