人気ブログランキング | 話題のタグを見る

父と息子って 11

「カズはわしの息子じゃ!」
耳に飛び込んだ怒鳴り声が、ふと-遠い記憶に重なった。
ずっと昔、僕がまだ幼稚園に通っていた頃のことだ。ハシカにかかった。かなり重かった。高い熱が出て、往診では間に合わなくなって、何日か入院した。病状のいちばん重かった夜は、ほんとうに、万が一の危険もあったらしい。
 おぼろげな記憶の中で、父は医者に詰め寄っていたのだ。「カズは治るんか、もういけんのか。はっきり言えや」と怒鳴って、「カズにもしものことがあったら、ぶち殺したるけえの、肚くくって治せえよ」と、医者を縮みあがらせていたのだった。
-中略-
「どげなことでもしますけん、カズを死なせんといてつかあさい。わしの息子なんですわ、わしの大事な息子なんですわ、カズは…」
 チュウさんは中腰の窮屈な姿勢で、頭を何度も下げた。
 止めようと思った。もういいから、と喉元まで声が出かかった。だが、僕はチュウさんの腰あたりをじっと見つめるだけで、なにも言えず、なにもできなかった。
「のう、橋本さん、なにをしたら勘弁してくれるんですか、わし、なんでもしますけん、言うてつかあさいや…」
 チュウさんは-父は、涙ぐんでいた。
 このドライブで、僕は父の泣き顔を何度見ただろう。こんなに涙もろいひとだとは思わなかった。父は決して僕の前では泣かなかった。強いひとだった。怖いひとだった。冷たいひとだった。僕は、父のことが嫌いだった。
 お父ちゃん。声にはならない。胸の奥で、言った。お父ちゃん、お父ちゃん、お父ちゃん…子どもの頃の呼び方が、「お父さん」に代わった頃から、僕たちはうまくいかなくなった。「親父」をへて、「おじいちゃん」になって、それでも父は僕のことを最初から最後まで「カズ」と呼びつづけていたのだった。
-中略-
「チュウさん…さっき、ありがとう」
 闇に溶けた海に向かって、僕は言った。
「べつに、どげん言うことはありゃせんわい。朋輩なんじゃけえ、あたりまえのことじゃ」
 チュウさんは怒った声で言う。
「朋輩じゃなくて、親父だから、でしょ」
「知るか、そげなこと。理屈で言うたん違うわい」
「チュウさん、こっち向いてよ」
「…なんじゃい、アホ、気色悪いのう」
 毒づきながらも、僕の言うとおりにしてくれた。
 僕はチュウさんをじっと見つめる。僕と同い歳の父親の、背丈や、顔つきや、たたずまいを、記憶に刻み込む。チュウさんもたぶん、同じように僕を見ていたのだろう。
「大きゅうなったのう、ほんま。一丁前のお父ちゃんじゃ、カズも」
 嬉しそうに言ってくれた。もう安心だ、というふうに大きくうなずいてくれた。僕は最後の最後まで、ようやく親孝行ができたのかもしれない。
「親子って、なんで同い歳になれないんだろうね」
「はあ?」
「どんなに仲の悪い親子でも、同い歳で出会えたら、絶対に友だちになれるのにね」
「アホか、それができんのが親子なんじゃろうが」


「流星ワゴン/重松清」より

ぼくは息子のことを、「チュウ」って呼んでいる。
この本を最初に手に取って、チュウさんが登場したとき、あ、chuと同じだ、と思った。

父と息子の関係-ぼくの父親とぼく、そしてぼくと息子のchu。
もちろん違った関わり方をしているけれど、やっぱり照らし合わせているなあと思う。
ぼくの父の父は戦死だから、ぼくの父は照らし合わせることなく「父親」をやっていたことになる。

いまここにいるやんちゃ坊主のchuがいつか父親になったとき、ぼくという父親とのことを思い出しながら、父親をやっていくことになるんだなあ。

いま、どんな父親であるかが、息子の息子の息子の…いつまでも影響していくことになる可能性があるわけだ。

娘であるkasuと、息子であるchu。もちろん二人ともかわいい。
比べるというのもおかしな話だが、やっぱり違う。
父と娘、父と息子の関係は、どちらがいいとかどちらが重要だとかそういうんじゃなくて、とにかく違う。
違いが、確かにある。
同性が二人以上いても、もちろん長男と次男、あるいは長女と次女で違うだろう。
第1子と第2子でも、違う。

違うから、おもしろい。

そして、親と子どもが同い歳で出会えたら、おもしろいだろうなあ。
記憶の中の同い歳の父との会話を想像するだけでも、おもしろい。

「わしよりもおまえのほうが、薄くなるの早かったなあ」
「五十歩百歩だよ、でもぼくのほうが体力あるで」

「タバコはやめたんか、酒の量もそれだけか」
「お父さんみたいに酒とタバコで死ぬわけにはいかんやん」

「仕事はちゃんとやっとんか」
「お父さん見てサラリーマンならんとこう思ったからな、絶対お父さんより稼ぐで」

「お前、日曜にキャッチボールしようとか、ノックしてくれとか、一時よう言うてきたなあ。あれ、けっこうきつかったんや」
「そうやんな、あの頃まだ休みが少ない時代やったもんなあ。いま思うとたまの休みに、無理言うとったんやなあと思うわ。そやけど子どもの頃はそんなふうには思えんのよなあ」

「ほなら、いまちゃんと子どもらの面倒見てやってるんか」
「できるだけそうしたいなあとは思ってなあ。まだまだやけど。あんまりべったりもうっとおしいかもしれへんけど」

「わしがおまえらにしてやれへんかったこと、したってくれや」
「わかっとう。そのつもりやねん。子どもら、おじいちゃんのこと知らんし、その分までな」

「おかあさんのことも、頼むわな」
「ああ、まあそのつもりやけど。まだまだ元気やから。今はまあ孫がそばにいるということで」

「ほなな、まあがんばれや」
「うん、じゃあ」

父と話したいこと、いっぱいあるなあ。
もうちょっと、感謝の言葉をかけておけばよかったなあと、今となったら思うけど、死んじゃったからかな。

父と息子ってシリーズ、今回にておしまい。

by omori-sh | 2005-08-28 09:52 | book