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社会で役割を果たす自分と、取り替えのきかない個人としての自分。

吉本隆明さんの「13歳は二度あるか」より。

社会というものと深く関わっていくうえでいちばん大切なのは、社会的な役割を生きる自分(社会的な個人)と、性格や内面も含めた個人としての自分(個人としての個人)を、きちんと分けておくことです。
この両者を一緒くたにしてしまうと、はた迷惑で、自分も傷つくことが多くなってしまうと思います。


「社会的な個人」と「個人としての個人」を分けるって、仕事とプライベートを分けるということかな?くらいに思っていたら、ちょっと違った。
目からウロコというか、ショッキングというか、本当のところはまだはっきり区別できる自信がないのだけれど、最近のぼくの悩みを解いてくれる鍵だ、とピンと来た。

仕事というのは、ただやみくもに頑張ればいいというものではありません。仕事の場で自分の人間性までを評価されようとする人は、頑張っていることそのものによって、他人を傷つけることがあります。
仕事で役割を果たす自分と、取り替えのきかない個人として存在する自分を、理念の上できっちり分けて考える。それができていれば、仕事での評価と、人間としての評価をごちゃまぜにすることもなくなります。


ぼくは明らかにごちゃまぜにしてしまっている。少なくともいままでずっとそうだったと思う。

「みんなが休んでいるときにわざわざ自分だけ働く、ということをする人」がいると、周りの人は迷惑し、そういう人は「社会的な個人」と「個人としての個人」をごっちゃにしてしまっていると吉本さんは述べておられる。

ぼくは別にみんなが休んでいるときにわざわざ自分だけ働くというタイプではないのだけど、少なくとも「自分はこんなに頑張っているんだ」ということでいい気持ちになったり、それが仕事の評価に結びつくのは当然だろうと思ってた。

この二つを混同している人は、他人に対しても要求が高くなります。「自分はこんなに頑張っているんだから、お前もやれよ」というふうになりがちなのです。あるいは、自分ができもしないことを他人にやらせようとしたりします。

少なくとも一年くらい前までのぼくはまさしくこんなタイプだった。周りに対する要求ばかり高くて、イライラしていて、反感を買ってしまうこともあったように思う。
「あの人は自分にも厳しいかもしれないけれど、周りにも厳しすぎる」というような目で見られていたことがあったんじゃないだろうか。実際は自分に対して厳しくも何ともなくて、他人に対して要求してばかり。

社会の中で役割としてしなければならないことと、一人の人間としての生活は、別のものです。ですから、役割の中で評価されなかったり、傷つくことがあったとしても、あなたの人間としての価値が傷つくわけではないのです。
このことを若いときから理解しておくと、これからの人生の中で不必要に傷ついたり、自分にできないことを他人に要求したりということが少なくてすむと思います。


35歳にして、こういう言葉がすごく響くというのは、恥ずかしいことではあるんだけれども、事実だ。

そして、人間としてのもうひとつの側面は、「家族の一員としての個人」。
つまり、「個人としての個人」とはまた別に、「家族の一員としての個人」がある。
「社会的な個人」との中間にある概念。

これら三つは次元が違うということを認識した上で、それぞれの次元についての考えをきちんともっているのが理想だと。

これらのバランスをうまくとって、それぞれ別個にほどよくやっていけたらと思う。

by omori-sh | 2005-11-08 21:50 | book