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子育ての勘どころ

わたしは子育ての勘どころは2か所しかないとおもっている。
そのうちの1か所が胎内7~8ヶ月あたりから満1歳半ぐらいまでの「乳児期」、もう1か所が「少年少女期」から「前思春期」にかけての時期だ。

第1の時期 : 乳幼児期 → 心から可愛がって、おっぱいを飲ませたりオシメを取り替えたりすること

母親のこころの状態は全部子供のこころに刷り込まれるんだと考えたほうがいいようにおもえる。

母と子の絆がしっかりしていれば、深刻な問題は全生涯かけて残らない。

性格形成の大部分は乳児期・幼児期で終わるといっても同じことだ。
性格形成の7割から8割まではここで終わると見てよいと思う。

第2の時期 : 少年少女期(学童期)~前思春期 → 「生活がすべて遊び」という時期だから、思う存分遊ばせること

本を読むのも遊び、勉強も遊び、というほうがいいとおもう。

小学校の先生は勉強なんて教えなくて、子供たちといっしょになって遊んでいればいい。
いちばんいい教育は休み時間にいっしょに遊んで、喧嘩の仕方を教えたりキャッチボールのやり方を生徒に教えてやることだ。
絶対それがいちばんいいと思える。

要するに、教えないようにして教えることしか身につかないとおもう。

「家族のゆくえ/吉本隆明」より

吉本さんの本についてはこれまでもいくつか紹介させてもらっているけれども、今回の本もまた、すごく参考になるなあと思った。
さすが吉本さん、というような内容で、昭和の偉大な思想家の言葉、ぼくなんかにはとうてい理解不能な部分も多いけれども、それでもやっぱり影響を受けざるを得ないなあというのが感想だ。

親として少なからず子育てに関心があって、それなりに考えているつもりではある。
だからこの本を書店で見かけたとき、そのタイトルに興味を持った。

混迷するいま、やはり「家族」をちゃんと見つめ直す必要があるとぼくも漠然と思っている。

「家族の一員としての個人」を「個人としての個人」、「社会的な個人」とともに深く考える。

ひょっとしたら「家族の一員としての個人」がいま、いちばんないがしろにされてしまっているかもしれない。

子供がどんな残虐な事件を起こそうと、それは親の責任だと、わたしはおもっている。
子供に責任はない。


いまの父親、母親は責任を負うというより、世間といっしょになって、「うちの子はもともとああいう性格で、幼いときからこんな傾向があったから、こんなに凶暴なことをするようになってしまった」というような言い方をする。
子供がそうなったのは自分たちの責任であるというふうには考えない。
世論といっしょになって傍観者的に語るだけだ。
いわば世間と同じ位置、同じ場所から、同じような言葉づかいで自分の子供の振る舞いについて野次馬的に発言してしまう。

ぼく自身にも思い当たる節がある。
ぼくの子どもは7歳と4歳だから、第1の時期はもうとっくに過ぎてしまっている。
つまりもう性格形成はほとんどできてしまっているといえる。
過ぎてしまったことをとやかく言ってもはじまらない。
少なくとも親の責任というものをちゃんと考えて、親らしくしたいものだなあと思う。

by omori-sh | 2006-04-11 23:14 | book