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先生にとっていちばん大事なこと

新学期、担任の先生はどんな先生か、親としても気になるところではある。
そういえばうちの子が通う小学校にこの春着任して来られた先生の中にどうも高校の同級生がいるようだ。
kasuの担任にはならなかったけれど、学校で出会ったらどんな感じかな。

子育ての勘どころを教えてくれた吉本隆明さんの学校の先生についてお考えもまたおもしろい。

「子供たちは、この先生はどういう人なのか、はじめからもうわかっている。
上手に勉強を教えようが教えまいが、先生というのは子供たちにすべて見抜かれているとおもったほうがいいに決まっている」

先生にとっていちばん大事なことはふだんの「地」を出すことだけだ。

自分がふだん何を勉強しているか、ふだん何をやっているか、また性格はどんなふうか、自分が本来の姿を隠さず出せればそれで充分なのだとおもう。
それが子供たちのもっている印象と合致したとき教育は成立する。

プロ教師のいちばんいけないところは、そうした「人格」がないのに技術だけが見えてしまうことだ。
授業の進め方や教え方はうまいかもしれないけれど、生活の英知の影がない。
そこがいちばんの弱点だ。

プロ教師に教われば、たしかに受験勉強がよくできるようになって、いい高校へ入っていい大学へ進めるかもしれない。
だけど、そんなのは全然ダメだぜとおもえてならない。

平気な顔をして自分の性格のまま振る舞えばいい教育に決まっているとおもう。
子供たちから「いい先生」とおもわれようなどと考えないほうがいい。
自分は先生なのだから神聖に見せなくてはいけない、道徳的にもそう努めなければいけない、なんておもうのはどうかしている。
この点は、先生だけでなく、少年少女期の子供をもつ親御さんにもいえることだとおもう。


すごーくすごーく納得だ。
さすがだなあ、言うことが違うなあ、なるほどなあ、そうだよなあ。
文面に惹きつけられた。

「この時期に仮面のかぶり方などを教えられた生徒は生涯を台無しにするに決まっている」

これは「先生」と呼ばれる仕事をしている人には少なからずあてはまるだろう。
もちろん吉本さんがおっしゃるとおり、親にはそっくりあてはまるに違いない。

ぼくらのような仕事でも少年少女に接する機会があるし、相手がそうじゃなくても、やっぱり「地」でいくのがいいんだろうなあと思う。

「いい先生」じゃなくてもいい、と表現されていることについては何をもって「いい先生」なのかということで、「地」でいけるのを「いい先生」というふうにすれば、やっぱりぼくはそういう「いい先生」になりたいと思う。
ぼくが目指す「いい人」というのはそういう「いい人」で、決して優等生だとか名医だとかマイホームパパだとかそういうのではないと思えた。

「地」でいくというのは、簡単なことのようで、案外簡単でないような気がする。

by omori-sh | 2006-04-12 07:33 | book