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まれなケース

人それぞれ感受性というものには差があるものだ。
メンタルな感受性はもちろん、フィジカルな感受性もすごく差がある。
薬の効き目だって、人によって全然違う。

ぼくなんかが仕事をしていてよく遭遇するのが「痛み」に対する感受性だ。
これが思いのほか差がある。
痛いのが嫌い、というときの「嫌い」についても差があるから、さらに増幅される。

たとえ同じレベルの痛さであっても、それを不快と感じるかどうかはまた人によって違うのだ。
痛いのがとにかく嫌いな人にとっては、少しの痛みがものすごく苦痛だし、それが恐怖にもなる。
そうなったら歯の治療なんて拷問になってしまう。

10年以上この仕事をやってきて、ようやくその感じ方の違いというものがわかってきた。
「こんなので痛いはずがない」とか「普通の人は痛いとは言わないから痛いあなたがおかしい」とかそんなふうに思わなくなってきたのは最近なのだ。
ようやく今頃気がついてきた。

こちらサイドに立って考えると、患者さんに痛い思いをさせた歯医者だって、感じ方がそれぞれ異なる。
痛い思いをさせて平気な歯医者もいるだろうし、過剰にストレスに感じる歯医者もいるだろう。

要するに、ストレスというのは主観的なんだと思う。
そしてそれぞれがすべて事実でもある。

患者さんの言葉にきちんと耳を傾けることができなくなったら、治療は成功しない。
「こんなので痛いなんて頭がおかしくなってしまっているに違いない」なんて考えた時点で治療は終了したも同然だ。
終了ではなく、放棄だ。

「ややこしい患者は時間ばかり食って、割に合わないから診たくない」という話は珍しいことではない。
これは医療に限らず、ビジネスにおいてよく言われる。
すべての顧客を相手にするのではなく、優良顧客のみを相手にしたほうが効率的だしストレスが少ないという。
そりゃ、そうだろう。
それが苦労なくできたら世話がない。

もちろんぼくも偉そうなことを言えた立場ではないんだけれど、最近でもいままであまり経験したことないようなケースに遭遇して、まだまだ自分は経験不足だなあと感じるとともに、何事も経験してみてはじめてわかるんだと再確認した。

まれなケースでも、ちゃんと患者さんの声に耳を傾けたら、何かしらぼくにできることがあるかもしれない。

それを自分から放棄してしまうのは、やっぱりもったいない。

でも、年とともに、知らず知らずのうちにそういう風になっていくんだろうなあと思う。

今日、あきらめかけていた患者さんから、「よくなりました、うれしいです」という言葉をいただけた。
やっぱりうれしかった。
何人かのセンセイに相手にされなかったのだと言う。
その患者さんの訴えについては、いままで誰も教えてくれなかった。
教えてくれたのは患者さんの感受性。

まれなケースこそ、耳を傾けるよう心がけたい。

by omori-sh | 2006-04-18 22:29 | create d.c.