あわれ我がのどに紐ありき
「あわれ我がのどに紐ありき」
読売新聞の朝刊1面の下にある編集手帳(朝日新聞でいうところの天声人語)で見かけた言葉。
長良川の鵜が、心のおもむくまま飛び来ては飛び去るカラスをうらやむセリフ。
鵜の立場に立ってつくられた歌の一節だ。
画家、安野光雅さんの「大志の歌」という動物の世界を想定した架空の校歌を集めた本からの引用。
「鵜の真似をするカラス」というのが身のほど知らずの人真似を笑うことわざであるというのもはじめて知った。
だからといってカラスが鵜に憧れているのかというと必ずしもそうではないだろう。
誇り高き鵜がカラスをうらやむこともある、というのは当然だ。
こういう日に限って今朝こんなセリフも見かけた。
勝ち組とか負け組とか、なんか色々あるじゃないですか。
今朝、バス乗ってて、ふと思ったんですけど、僕にとっては、「色んなストレス要素から自由でいられること」っていうのが勝ちってことだなぁと...。
ぼくの友だちの言葉なんだけれど、これだと彼の考えからみるとどうしたって勝ちはカラスだ。
僕にとって今のストレス要素って、毎日の服装に象徴されてるんっすよね。
スーツにネクタイは、やっぱ僕にはムリっす。
鵜ののどにある紐がネクタイならそっくり当てはまるからなんだかおもしろいなあって思った。
ぼくは今朝ジーパンにTシャツ、薄手の上着、スニーカーで出勤した。
でも、果たしてぼくののどに紐はないのか。
そしてぼくはカラスなのか。
のどの紐はだれにだってあるだろうしだれだってカラスになれると思う。
制限がストレスになることがあれば、制限があるからこその自由ってのもあるかもしれない。
自分では決められず、誰かに決めてもらうことによって自由という責任から逃れようとすること、だれだってあるだろう。
のどの紐がストレス要素なのかどうか。
世間で言うところの勝ち組負け組は経済力で判断されているんだと思うけれど、やっぱりぼくも友だちと同じように自分で勝ちだと思えたらそれでいいじゃない、と思う。
何に対して勝っているのかはよくわからないけれど。
自分で結んだ紐で苦しまないようにせなあかんよなあってことかな。
「緩めたつもりが絞めてた」ってこと、ありそうだから気をつけよ。
by omori-sh | 2006-05-12 22:22 | idea