勝手なときだけ世話になる
普段は不義理しっぱなしなのに、勝手なときだけお願いして、それを快く引き受けてくれたとき、その人の親切心には心から感謝の気持ちがわいてくる。
ぼくは今回開業に際し歯科医師会という団体に所属したほうがいいかなあと思って入会を申し込んだ。
入会するためには保証人の存在が必要で、ぼくという人間を認めてくださっているという会員の先生にお願いして事務所に同行していただき、署名捺印してもらわなければならない。
「だれか保証人になってくれる先生はいるか?」
「あ、はい、お願いしてみます」
ということでまだ一度も会ったことのないM先生に連絡を入れた。
M先生はぼくの親世代。
とあるきっかけで一度電話で話したことがあるだけの間柄だけれど、そのときの印象がとてもよくて、また高校の同窓ということでいつでも遊びにおいでと言って下さっていた。
そこで約1年ぶりにM先生に連絡を取って、はじめてお会いしたのがちょうど1週間前。
M先生の診療室を見学させていただいて、ゆっくりお話しすることができた。
気さくなとてもいい先生。
勝手なときだけお願いして、はじめて会った年配の人に保証人になっていただくなんて、ほんとうに図々しいなあと思いつつ、それを快諾して下さったM先生には感謝カンゲキである。
そして昨夜M先生と一緒に事務所を訪れ、入会に際しての話を伺った。
M先生が横にいて下さるだけでとても心強くて、安心できた。
おそらくM先生が保証人としていて下さったおかげで、非常にソフトタッチな説明になったんじゃないかと思う。
困ったときだけしか顔を出さないということはよくあることで、ついそうしてしまいがちで、できることならそうならないようにしたいものだが、難しい。
少なくとも、もし自分が頼りにされたなら、できることなら喜んで引き受けられる懐の深さを持っていたいと思った。
M先生にしていただいたことを、誰かにしてあげられるようになることがM先生への恩返しになると信じている。
by omori-sh | 2006-11-09 17:05 | create d.c.