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暑中見舞い

長かった梅雨がようやく明けた。
いよいよ本格的に夏到来。
そんな折、一通の暑中見舞いハガキが届いた。

うれしいものだ。

お中元を贈って届いたことすらわからないこともあるというのに、お中元のやりとりなんてなくてもこうやっていただくハガキは宝物。
自分が普段から人様からいただく好意に対して不義理にしていないか自分を見つめなおす。
そういえばあるよなあ、いただくばかりのメールとか。
ああ、返事を送るつもりだったのをすぐにしなかったばかりに忘れてしまったこと、あるなあ。

ブログにいただいたコメントに対するレスポンスを滞らせてしまうこともある。
いかんなあと思いつつ、まだまだつい甘えているところがある。

しかしながら、やっぱり大切なのは送ったから返す、というようなことではない。
「送ること」に尽きる。
返事であれ、送ることには変わりない。
とにかく送ること。

届いたかどうかは二の次だ。

贈り物は贈る人が自分のためにする好意的な行為だと思う。
だから贈ることでもっと満足すべきなんだろう。
まだまだその域に達していない自分の未熟さを、一通の暑中見舞いハガキがあらためて教えてくれた気がする。

それではここであらためて。

みなさん、暑中お見舞い申しあげます。

暑い夏、タフに過ごしたい。
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by omori-sh | 2006-07-31 22:37 | episode

リトライ

どうもぼくとしては納得いかなかったツリハーサル
アジが釣れなかったのはどうしたって不本意。
だから日曜の夕方、もう一度チャレンジ。

子どもたちをぼくの母に任せて、夫婦2人でもう1回釣りへ。
「2人で釣りなんていつ以来かなあ」なんて話しながら。
子どもたちがおとなしく留守番してくれたのは、朝釣りをやって釣りというものがどんなものか、わかってしまったからかもしれない。

おかげで妻と2人で釣りに行けた。
10年位前はちょこちょこ2人で出かけていた。
あまりに久しぶりで、妻はまだ思い出せないらしく、リールを竿に反対向きにつけようとしたからびっくり。
「朝やったばっかりやん!」とつっこみを入れつつ、内心不安に。

夕方には釣れるだろうとこれまた高をくくっていたのだが、やっぱりアジは来ない。
サヨリの群れのせいに違いない。
それでもサヨリが2匹釣れたから、よしとしよう。

サヨリの口が受け口だってこと、知らなかった。
子どもたちに見せてやろう。

リトライの結果も狙っていたアジは釣れなかったけれども、はじめた釣れた魚や、久しぶりに妻と2人で釣りに行けたことを考えると、またまた貴重な時間となった。

これでますます次の日曜にもしアジが釣れたらうれしいだろう。
釣れますように。
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by omori-sh | 2006-07-31 22:16 | episode

ツリハーサル

来週の夏休み釣り企画に向け、本日リハーサル。
釣りのリハーサルということでツリハーサル。
こういう言葉遊び、子どもたちが喜ぶもので…。

まだ暗いうちに起床、5時に釣り場へ向かう。
すでにそこには人がいるいる。
釣り人は朝が早い。

c0056707_14331155.jpgサビキ仕掛けでさっそくゲット。
小さいガシラ(カサゴ)。
その竿を持っていたのはkasu。
歓喜の子どもたち。
chuが針はずしにトライ。

竿とリールを3セット用意して、子どもたちにも竿とリールの扱い方を指導。
背も低いし小さい手で使うからなかなか難しいけれども、やってみないとできるようにならない。

ぼくはルアーをやりだしてリールは左手で巻くようになったので、すべてスピニングリールのハンドルは左。
はじめからそれが当たり前になれば問題ないだろう。
竿を右手で持って、左手で巻く。

さすがに5時過ぎからはじめたので、そこそこ小物が釣れてくれた。
でも狙っていた小アジは釣れない。
アジかイワシを釣りたいのに。

夏休みに入って続けているラジオ体操を中断しないために、ラジオを持参。
6時半にチューニング。
ほかの釣り人の目を気にせずその場で釣りを中断してラジオ体操。
周囲の人は見て見ぬふりって感じ。

c0056707_1446484.jpgラジオ体操のあと1時間ほどやって、終了。
本日の釣果は全部で16匹。
ガシラとスズメダイとウミタナゴ。

子どもたちは自分たちも釣れたので満足。
ぼくはお目当てが釣れず不満足。

まわりを見渡してもアジは上がっていない。
となりのおじさんはサヨリ狙いでサヨリを何匹も釣り上げていた。

たぶんぼくも1回サヨリのあたりがあったんだけれど、針がうまくかかっていなくてばれた。
でもサヨリという魚の引きを感じることができた。
長いだけあって、引く。
青い魚は引きが強いからおもしろい。
アジだって、ちょっとサイズが大きくなれば、引きが強いから好きだ。

なんとかアジを釣りたい。

c0056707_1451898.jpg
釣った魚は食べないと申し訳ないので、ちゃんとランチにいただく。
なかなかの美味。

さてさて来週のプラン、どうしよう。

もうちょっと考えてみよう。
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by omori-sh | 2006-07-30 14:38 | episode

高校球児

高校野球の県予選も大詰め。
兵庫県は雨で順延した影響もあり、本日準々決勝。
といっても今までそれほど気にすることもなく、今年はどこが有力校なのかさえ知らない。

そんなぼくが今日県予選の行われている球場に足を運んだ。
すっかり夏らしくなり、陽射しが強い中、昼休みにのぞきに行ってみた。
球場の近くで働く夏は今年限りで、今日が最後のチャンスだから。

ぼくが野球をやっていたのは小学生まで。
少年野球チームには6年生の1年間だけ所属した。
もうちょっとうまかったら中学でも野球部に入っていたかもしれない。

高校球児ではなくても、野球をちょっとくらいはみなかじっているものだ。
だからこそ、実際のプレーを見るとその難しさがある程度わかる。
試合前のノックを見ていて、どっちが強いかというのも何となくわかる。

第1試合では、県立の進学校が私立の強豪に2-1で勝っていた。
まさかその高校がベスト4に進むなんて、戦前は予想されていなかったみたい。
ちなみにその高校はぼくの父親の母校であり、有名どころだと「さおだけやはなぜ潰れないのか」の山田真哉さんや、あのレイザーラモンHGの出身校だ。

まさかその高校が甲子園に出場するところまでは行かないだろうけれども、もうすでに彼らの戦績は高校では伝説になるに違いない。
「あの年は強かった」って。

つい最近読んだ重松作品に甲子園の開会式を見に行く少年野球チームの監督の視点が語られる話があった。
それを読んだから、ぼくは今日球場に行ったのかもしれない。
小説の影響もあって、ぼくの視線はグラウンドで白球を追う選手たちだけではなく、スタンドで応援している選手たちにも向いた。

またここにいる選手が誰1人として甲子園に行けないのかもしれないということ。
甲子園というのはそれだけ大勢の人たちが目指し、その大会は支えられているということ。
今日涙を流した選手たちの存在があって、その頂点にあの大きな甲子園があるのだ。

野球に限らないけれど、甲子園という存在はやっぱり特別なんだろうなあと思う。

時間の都合で試合の途中で仕事に戻った。
思いがけず日焼けしてしまった。
まさか入場料が700円もすると思わなかった。

でも、今日野球場に行ってよかった。
高校球児たちの青春、応援している高校生たちの青春、そして関係者の存在を感じることができてよかった。

球場のまわりにあるグラウンドで、少年野球チームが練習していた。

昼下がり、何だか気持ちが高ぶった。
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by omori-sh | 2006-07-29 19:37 | sports

むずかしい年頃

「ナイフ/重松清」を読んだ。
主に「いじめ」が題材となった短編集。
読んでいて苦しくなる場面がある。

あるときは小学生、あるときは中学生。
子どもたちだけじゃなく、子どもたちの親の心を巧妙に描いている。
いじめもゲーム感覚で行われているという現状を知る。
「ハブる」という言葉を知る。
(ハブるというのは村八分を語源とする仲間はずれにしていじめることをあらわす)

まだまだうちの子どもたちには関係ないかなあと高をくくっているけれども、知らぬが仏でいつの間にか自分たちの子どもも「いじめ」に巻き込まれている可能性はある。
kasuの通う小学校は比較的平和な感じはするけれど。

重松さんの小説では14歳がキーポイントのようである。
男女で差はあるけれど、11~15歳というのはむずかしい年頃なんだと思う。
中学生というのはむずかしい。

ということはつまり、その年頃の子どもをもつ親も必然的にむずかしい年頃と言えなくもない。
30代後半から40代前半であることが多い。
ああ、まさにぼくらはこれからそのむずかしい年頃だ。
親としてむずかしいだけじゃなく、自分自身もいろいろある。

転職や独立するならこの時期だと思う。
住宅を取得するのもこの時期であることが多い。
住宅ローン適齢期といってもいい時期だ。
ぼくもまさに3年前、33歳で家を建て、今年から来年にかけて36歳で独立開業の予定。

むずかしい年頃はそれくらいかというとまだまだありそうだ。
思春期の前後に受験がある。
中学受験と大学受験だ。
受験を乗り越え二十歳になると社会人になるにつけて悩む。
二十歳で成人ということだが現代ではまだ二十歳だと未熟なように思われる。
つまり、精神的に未熟な人が社会へ出て行くことになるから、むずかしいのは当然だ。

社会人としてスタートするとこれまたこの時期には恋愛も含めまたむずかしい。
就職がむずかしいし仕事が身につくまでむずかしい。
ぼちぼちできちゃった結婚を含め結婚適齢期になってきてこれまたいろいろむずかしい。
30前後で結婚して、子どもが欲しいのにできないというむずかしさもある。

そうは言っても大学受験から10年間くらいのむずかしさは思春期ほどではないように思う。
体力もあるし健康面での心配が少ない。

40を過ぎると厄年がやってくる。
体力的にちょっぴり不安になったり仕事上で責任が重くなったりということでむずかしくなる。
それでもまだ勢いで乗り切れそうな気がする。
子どもが深刻ないじめにでもあわなければなんとかなりそう。

そして50歳がやってくる。
何となくだけれども、ここで第二の思春期のような時期に突入するんじゃないかなあと思う。
この辺はぼくにとっては未経験ゾーンだから、あくまでも想像。

子どもの受験で悩み、進路によってお金で悩む。
かといって子どもはすっかり手を離れてしまっている。
夫婦はセックスレスで、健康面の不安が出てきて、サラリーマンならリストラが心配になる。
ここでクビになるとつらい。
個人事業主ならこれまた事業の見直し時期で新たな設備投資に迫られる。
思い切った決断が必要な時期で冷静な判断能力が必要だ。
老け込むには早すぎるし老後のことを考えてもここでもうひとがんばりできる下地をつくっておきたい。
あと10年は現役として働けなければならないのだ。

この50代が思春期並みにむずかしい年頃ではないだろうか。
自殺が多いのもこの年頃だというから間違いないと思う。
60代になるとそういう気持ちは通り過ぎているのかもしれない。

だからぼくはこの15年後をいかに過ごすかを今から考えておきたい。
今のうちにちゃんと考えて行動しておくことが大切なような気がする。

それ以降はというと、いまいちピンとこない。
60代はまだ現役としてやりたいんだろうし、夫婦関係も新しい局面を迎える。
もうそれ以上は全然わからない。

ただひとつ言えることは、いつの世代でも「健康」が最も大切だということ。

カラダとココロの健康。

むずかしくない年頃なんて実はなくて、ずーっと何かがあって、乗り越えるべき課題はずっとあって当たり前なのかもしれない。
いずれにしても、むずかしい年頃こそ、おもしろいともいえるような気がする。
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by omori-sh | 2006-07-29 00:27 | book

たいりょく

とたんに暑くなって、クーラーをかけずにいられなくなり、設定温度も低くしたくなるようになってきた。
エアコンが神様に見えるというと大げさかもしれないけれど、もうエアコンなしの生活なんて考えられないことは紛れもない事実である。
冷風の心地よさを身にしみて感じる。

クーラーの効きすぎが体にあまりよくないことくらいは誰だって知っている。
電気代の節約、省エネ、エコロジー、クールビズ。
みんな知っているけれども、つい設定温度の下方修正をしてしまう瞬間がある。

昨夜、もちろんエアコン設備などない体育館でバレーをした。
これだけ暑いけれども、メンバーは集まる。
これは素晴らしいことだと思う。

暑さは体力を奪う。
同じ運動量でも、消耗度合いは全然違う。
これはスポーツをしているときだけに限らないんだけれど。

昨日バレーをやっていて、思いのほか自分よりも若い連中が消耗していく姿を見て、ぼくもまだまだ若い連中に体力面でも負けてないな、と思った。
これは実はぼくが特別体力があるわけではなく、なんとなくだけれど、世代別に見ても若い世代ほど体力に弱点があるように思われる。
ひょっとしたら、今だったら子どものほうが体力がなくなっているかもしれない。
体力だけじゃなく、耐力も。

もちろん若い人や子どものなかに体力があって、精神的にもタフな人がいることは間違いない。
でも、一般的に見て、たいりょく低下の傾向はないとはいえないような気がする。
これは素晴らしいとは言えない。

体力と耐力(忍耐力)は無関係ではない。
どちらかと言えば正の相関関係にあるように思う。
小さな子どものうちはまず体力、ものごころついたときにはまず耐力という気がする。
無邪気に走り回って遊んでいるうちにいつの間にか体力がついて、ある程度の体力がついていればそれを元にメンタルタフネス、つまり耐力により体力の向上に結びつくということになるのではないだろうか。

だから、その考えに基づけば、我が家の子どもたちはすでに今の体力の上に立って耐力が問われる時期に来ているように思う。
といういことで、今ぼくたち親のたいりょくでもって子どもたちのたいりょくを身につけさせてやりたいとあらためて思った。

何ごとも「たいりょく」が必要だ。
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by omori-sh | 2006-07-28 21:53 | health

夏休み本番

夏休みに入ってから、ようやく夏らしくなった今日、まだ梅雨は明けないけれども、ぼくの仕事は休みだった。
ぼくの休みに合わせて行われた歯科医院設計打ち合わせ朝10時からあって、昼過ぎから我が家に場所を移してランチを食べながらの話になった。

子どもたちは夏休みなので家にいて、打ち合わせにも参加し、お手伝いもしてくれた。
また一緒に遊ぶことも子どもたちの楽しみであった。
ぼくとしてもこうやってお客さんに子どもたちが気さくに接してもらえることに喜びを感じる。

せっかくの夏休み期間中のぼくの休日。
だから打ち合わせでその貴重な時間がなくなってしまうというのも申し訳ない話である。
だから、打ち合わせの前後は子どもたちとできるだけ遊ぼうと思っていた。

朝からラジオ体操に行って、その帰りに公園に寄って鉄棒を練習して、家に着いたらすぐキャッチボールのようなことをした。
打ち合わせのあとはまた家の前でchuは自転車の練習、kasuは一輪車の練習。
carlの散歩にも行ってまたchuとキャッチボール。
kasuは妻とずっと一輪車の練習。

夜はぼくと妻はバレーへ。
そこでは打ち合わせで一緒だった歯科衛生士のtsmtさんの姿も。
体育館では違った立場同士なのだ。

暑い中、汗だくになりながらバレー。
その間、子どもたちは家でぼくの母とお留守番。
この時間も子どもたちにとってはうれしい時間だ。
テレビを見ることができるし、大好きなやさしいおばあちゃんに遊び相手をしてもらったり本を読んでもらったり。
おかげですごく助かる。

夏休み、42日間あるけれども、そのうちぼくが休みの日は14日。
ちょうど1/3ということになる。
その休みの日をいかに子どもたちと過ごすかがぼくのテーマなのだ。

子どもたちの期待に応えられるよう、できるだけのことはしたい。
少なくともぼくが子どもたちに期待していることの1/3くらいは子どもたちの父親への期待に応えられたらと思う。
1/3だと足りないかな。
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by omori-sh | 2006-07-27 22:36 | children

loop

なぜか御連絡するのが遅くなってしまい申し訳ありません。
4月6日にloopの飲食店をオープンしました。
チキンジョージの隣(東急ハンズの少し上)なのでまた近くに寄る事がありましたら、立ち寄っていただければ幸いです。


ぼくらの家の門扉や鉄製の塀をつくってくれた、H氏よりメールが届いた。

書中見舞いってぼくは送ってないんだけれど、久しぶりの便りというのはうれしいものである。

春にオープンした店、ぜひ足を運んでみたい。
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by omori-sh | 2006-07-27 08:27 | shop/spot

夏がやってきた

夏到来を強く思うこと。
それは人それぞれ違うと思うけれど、ぼくはやっぱりセミ。
このあたりはクマゼミ。
朝からセミの鳴き声がやかましくなると、「夏だ」と嫌でも思う。

昨日あたりから、ここらあたりでも急にセミの声が聞こえだした。
今朝、それが確かのものとなった。
セミの声がうるさいくらいになってこそ、夏だ。

暑苦しいセミの声がないと、夏らしくない。
梅雨が明けているかどうかでも、気温が高いかどうかではなく、セミがやかましいかどうか。
子どもの頃の思い出がそういう思い込みをぼくにすり込んだんだろう。

ラジオ体操が終わってもすぐに家に帰らず、遊んでいたときのセミの声。
ポプラ並木に無数のセミがいて、ほんとやかましかった。
あの頃グラウンドだったところが今は大企業の社宅になって、それでもポプラ並木は残っている。
随分本数は減ったけれど。

きっとセミの数も減ったんだろう。
木の本数だけじゃなく、何しろ土の地面の面積が激減。
だけどちゃんとまだセミは今年もいてくれた。

朝7時ごろからのセミの大合唱、しばらく堪能しよう。
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by omori-sh | 2006-07-26 21:28 | episode

行動=生きること

人生は凡てのことに、のぼせなければならない、と思っているのである。
何事かをするのに、あとさき考えてからすると、どうも勢いがなくなる。
のぼせていると、何事をするのにも、することに勢いがつく。
そこで初めて、行動することが生きることになる


「行動することが生きることである/宇野千代」より

「行動」って生ものだと思う。
だから鮮度が重要なんだろうなあって。
のぼせているくらいがちょうどいいのかもしれない。
もちろん冷静さも必要で、あまりに無茶はいけない。

でも、いろいろ考えすぎるうちに、機を逸してしまって、腐りかけてしまうこともある。
腐りかけてしまったら、いくらがんばっても、もう腐ってしまう。
腐る前に、食べなきゃいけない。
食べる決心をするのに、勢いがいることがある。

考えることは人間にとって極めて重要なことだけれど、もっと重要なことが行動することなんだろうなあってつくづく思う。
行動しなくちゃ、はじまらない。

その反面、宇野さんはこんなことも教えてくれている。

一体、人間のすることがどこからどこまで、理想的に行っている、と言うようなことが、あり得るものであろうか。
どこか、抜けたところがあるのに、気がつかない。
或いは抜けたところがあっても、そうは気にならない。
と言うくらいのところで、ちょうど人間らしい、と思うがどうであろうか。

どこか抜けている、その抜け具合が、面白いと思ったりするとしたら、それも私が年をとった証拠である、と思って、何から何まで、面白おかしく思うようになったのである。


そのほかにも、小見出しだけで思わずハッとする言葉が溢れている。

「感動は行動に結びつき、人生を愉しくする」
「思い込んだことは、その通りになってあらわれる」
「希望を発見することのできる人は生活の上手な人である」
「褒めること、喜ばせることが人間関係の基本である」
「好意を受けたものは好意で返す」
「自然な気持ちで生きることが健康の秘訣である」
「工夫することは、貧乏さえ愉しくする」
「上手になると言うのはひたすらに続けてすることである」
「習慣が生き方を決める」

100歳近くまで現役を全うされた宇野さんの言葉には重みがある。
恋愛や結婚生活、そしてお洒落についても「オンナ」であり続けた宇野さんの言葉、本質をついていると思う。
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by omori-sh | 2006-07-25 23:44 | book