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もう一回、死ぬまでに

二週間ぶりに、病床に伏す歌人に会いに行った。
まさか死んじゃってないだろうな、と思いつつ。

案の定、元気。顔色よし。

「こんにちは」
「あー死ぬまでにもう一回くらい来てもらえるかしらと思うてました」
「よかったですね、先週は風邪をひいてしまっていて、うつしちゃいけないと思って…」

「この前は先生の年を聞いてびっくりしました」
「35ですよ、ぼくは」
「若すぎる」
「よく言われます、老けてるって」
「死ぬことを考えるのは、40、50になってからです」
「昔の人は若くして立派だったでしょう」
「教育が違う」
「なるほど」
「昔は小さい頃から生きるとか死ぬとかを考えるように教えられてました」
「そうですよね、そういう教育ですよね。そういう教育を幼いときに受けずに医者になっていくんだから、いろいろいわれてもしかたない、かえってその人たちに求めるのは酷ですよ、問題は社会だと思います、ぼくは…」




「そうです、そうです」
「最近特にそんなことを考えています」

「私、胃潰瘍なんです」
「そうですか、精神的ストレスが影響してるんじゃないですか」
「娘がもめてるんです。私の遺産相続のことで」
「そうだったんですか」
「お金なんて残して死ぬもんじゃありませんね、諍いのもとです」
「…」
「私はケチをしてお金を貯めたんです。でも間違いやったと思います」
「…」
「若いうちに有効に使っといた方がいいですよ」
「なるほど。わかります」

「私が35の頃は、何をしてましたかねえ。一生懸命歌を詠んでいましたね」
「死ぬまでにまた歌を詠んでくださいよ」
「歌詠みの私は雲の下です」
「…」

「私、5月が誕生日なんですけど、誕生日が来ると、95になります」
「戌ですか?」
「戌です」
「ぼくも戌です、同じですね」
「あーそう、同じ、そうですか」

「とにかくまた来ますから、できるだけ生きていてくださいね」
「あと何日かは生きているでしょうが、わかりません」

「いいお話でした。ありがとうございました」
「また来てちょうだい」
「はい、また来ます。さようなら」
「さようなら」

94歳、ぼくの年を覚えてくれていた。

by omori-sh | 2005-04-01 23:43 | episode