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1年以上前の文藝春秋

古い雑誌というのも、意外と面白いものである。
今となってはすっかり過去になっていて、結果が出たことが
まだ当時は未来の出来事で、予測なんかが書いてあったりする。
それがまったく的外れだったりするから、ちょっと笑える。

未来はわからないからこそ、夢がもてるということを、
再確認できるともいえる。

1年以上前の文藝春秋。2004年3月号。
金原ひとみ「蛇にピアス」と綿矢りさ「蹴りたい背中」が掲載されている。
話題になった最年少芥川賞、女性二人同時受賞。
受賞作目当てで買っといて、どういうわけか読まずに置いていた。

それをふと今になって読んだ。
どちらも、おもしろいなあって思った。それぞれ個性がきちんとあって、
エネルギーを感じた。



「アマは元気のない私を飽きる事なく心配し続け、無理にテンションを上げたり、機関銃のように喋り続けたりして、それでも私が暗い表情のままでいると急に泣き出したり、憤りと切なさを切々と語ったり『何でだよ』と悔しそうに言ったりもした。そんなアマを見ていると、気持ちに応えてやりたいという小さな希望が生まれるけど、それはいつも自己嫌悪に押しつぶされた」

「こんなにアマのそばにいるのに、あんなに分かりやすいアマの事なのに、私はアマの行動を一つも予想する事が出来ない」
「ただ一つ分かるのは、私はこの生活の中でずっとアマと一緒にいて、次第にアマを大事に思うようになってきたって事」

「お別れなんて言いたくなかった。死体安置所で見たアマはまだ生きていて、棺の中にいるのは別人だと思いたかった。私は現実逃避をする以外なかった。こんなに思い悩むってことは、もしかしたら、私はアマの事を愛していたのかもしれない」

~蛇にピアスより

主人公は19歳の女性、ルイ。リアルな性描写。でも、表現の仕方こそ違うけれど、「大切なものは失ってはじめてわかる」というようなことは、誰しも経験すること。
当時「身体改造」という言葉が一人歩きしていたのかもしれない。ぼくらが共通して(?)持っている欲望をあるがままに表現していて、それはつまり人間らしさであって、根っこのところは純粋な心であることに気づく。大人のほうがずっと汚れている。
清々しささえ感じた。


「認めてほしい。許してほしい。櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに」

「彼を可哀想と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っぱられていく。にな川の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ」

「『ハツは、にな川のことが本当に好きなんだねっ』絹代は感動しているようで、照れたように私の肩を勢いよく叩いた。ぞっとした。好き、という言葉と、今自分がにな川に対して抱いている感情との落差にぞっとした」

「川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が立ち上がって水を濁すように、"あの気持ち"が底から立ち上ってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しいよりも、もっと強い気持ちで。足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った」

~蹴りたい背中より

高校生の時の作品「インストール」がおもしろい、よくできた小説だなあと思って、綿谷りささんには関心があった。
授賞式で話題になったが、金原ひとみさんとは作風も容姿も、対照的だ。
綿谷さんには、「聡明」なイメージがある。表現が練りに練られていると思う。
住んでいる世界は綿谷さんに近い(京都だし)けど、金原さんのほうがわかりやすかった気はする。でも、両者に共通する若者の恋愛観というの感じた。
蹴りたくなるもどかしさ、わかる。

二人とも二十歳そこそこの女子。男子よりも10年成長が早いような気がする。

さて、目的のこの2作を読み終えて、帰宅の電車はまだ続く。
そこでこの古い雑誌のほかのページをパラパラ眺めてみる。
これがなかなかおもしろいのだ。

中でも、「特別企画 仏教入門」というのがあって、これがよかった。
先日の塩狩峠では、仏教からキリスト教への方向変換だったが、
仏教だって負けちゃいない。仏教のこともきちんと見つめなおさないと公平じゃない。

聖書に「義人なし、一人だになし」とあれば、親鸞聖人の歎異抄には、
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(この世の人間はみな悪人です。欲望に振り回され、他を押しのけ、自分が生きるために動物や植物のいのちを奪うという殺生の戒めを犯してもいる)という言葉もある。

「人間に欲望があるのは自然なことで、無理やり押さえつけるとかえって歪んだ形で出てきてしまう。貪欲でもなく禁欲でもない、"中道"を歩むこと。むしろ少しの欲望で充足を知る"少欲知足"こそが肝要だ」

小説を読むと、人間の欲望がうまく描かれていて、自分の心と照らし合わせることにより、自分を認めるという作業をしていることがある(そんなことばっかりして欲求を満たしているともいえるかな)けど、それは宗教的な心のよりどころを求めることに通じているなあと、思った。

キリスト教もだけど、仏教もまた、触れておくべきだなあ。

by omori-sh | 2005-05-19 23:40 | book