その時間はどこへいったか
よのなか便利なものが増えて、手間が省けるようになったはず。
道具や器械の進歩はめざましく、日常生活において非常な恩恵をこうむっている。
数年前と比べてもそれは感じ、とくに近年は言うまでもなくIT関連の技術革新によりぼくらのような一般人でも助かるなあと思う。
インターネットやメールといった分野で便利になったなあ、はやくなったなあと感じるのは日々の生活という点ではなくてはならないものになったとはいえプラスαの部分だと思う。
もっと生活していく上で基本的な部分で考えるといわゆる家電製品のほうが不可欠だ。
住宅の性能や住み心地もあるけれども、家電のありがたみは暮らしに時間的余裕を与えてくれる。
共働きになってそういうことがぼくも実感できるようになった。
わが家でもっとも助かるなあと思う家電製品は全自動洗濯機とガス乾燥機。
とにかくガス乾燥機のおかげで洗濯物を干す手間と場所が不要になった。
衣類をたたむという作業は必要だけれど、全然違う。
乾燥機については「ほんとうにあってよかったね」と妻と二人話すことが今でもよくある。
とくにこの夏場、すぐ汚す汗かきの家族に犬のいるわが家では重宝する。
全自動洗濯機+ガス乾燥機のコンビにより省かれた労力はスゴイと思う。
続いて食器洗い乾燥機。
これはぼくはよくわからないけれど、妻にとってはナンバー2らしい。
もちろん今年買い換えた冷蔵庫の存在が大きいことも事実だ。
静かにじっとしているけどものすごく重要で性能もアップしていて必要不可欠な家電だけれど、手間を省いてくれる、という実感には乏しい。
手(体)を動かす代わりになってくれる器械たちの存在は、時間を与えてくれる。
そのほか、自宅の近くに職場があることで通勤時間が大幅に短縮された。
歯科医院の中でもできるだけ仕事の効率を上げる、つまり手間を極力省くことを考えた。
手抜きとは違って、最低限必要な水準を保ちつついかに効率よく処理するか。
器械に頼れるところは頼って。
それらによってかなりの時間を手にした(はず)。
なのに、今の日々の暮らしはというと、夕方には時間に追われていて余裕がない。
改善の余地があるかもしれないだろうが、一体効率化されたおかげで得た時間はどこにいったんだろう。
そして効率化をはかることの目的はそもそも何だったか。
それは楽をするためだけだったのか。
器械にやってもらって得た時間をより有効に使うことでプラスαができるという思いがあったはず。
あることにかける手間暇が不要になったから可能になること。
それがただ休憩時間だけになっていたとしたら家庭生活でもそうだけど仕事において考えるとむなしい。
同じ密度で働くなら仕事のクオリティが向上するはずである。
頭や体を休めることに利用したならば創造的なことが可能になるといきたいところだが、どうだろう。
今の自分はただ単に楽をしているだけかもと最近ちょっと気になってきた。
それなのに、余裕がないというのは自分のキャパのなさゆえか…。
by omori-sh | 2007-09-18 20:19 | create d.c.